本物の井川メンパ

井川メンパ/曽祖父の時代に使われていた道具
曽祖父の時代に使われていた道具

曽祖父の傑作
井川メンパ/曽祖父の傑作

井川メンパ/曽祖父の傑作
同じく

祖父の傑作
井川メンパ/祖父の傑作

井川メンパ/祖父の傑作
同じく

父の傑作
井川メンパ/父の傑作

井川メンパ/父の傑作
同じく

父の作ったメンパの修理を引き受ける
井川メンパ/父の作ったメンパの修理を引き受ける

井川メンパ/これでも修理可能です
これでも修理可能です



井川メンパ製造望月の略歴

初代  九口ヱ門 天保八年(1830年) 没

二代目 岩ヱ門 嘉永二年(1849年) 没

三代目 市助 市助メンパとして名を残す

四代目 青木政善 昭和十七年青木工芸社を設立

五代目 望月良秋 青木工芸社から現在の社名に変更 平成二十二年 没

六代目 望月栄一 現在に至る


井川メンパの由来

大井川の上流、静岡県の最北端で静岡市より60キロメートルの所に山里「井川」があります。現在は井川ダム、畑薙ダムの建設により、ダムの井川となり、発電所や県民の森などの観光地として脚光を浴びております。

しかし、この井川を省みると、山村僻地のため、林業が主で椎茸、わさび、本山茶等を作って生計を営む貧しい山村にすぎませんでした。この貧しい生活の知恵から生まれたと思われるのが井川メンパです。今日でこそ民芸品として広く愛用されていますが、この井川メンパの文献を見ると、1760年徳川中期に山仕事や農仕事に従事していた人たちの弁当入れ、水入れとして工夫されたのが始まりです。

その後、桧物師などの専門職人が改良を加えていきました。それらの技術が、今日のメンパに引き継がれております。井川メンパの原型は丸型ですが、工夫改良されて角型、小判型、おひつ、お重等も作られるようになりました。


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